先日、久しぶりに一冊の本を読みました。というのはここしばらく目が見えにくくなって、少し本を読むとすごく疲れるようになっていたからです。そこで眼科で手術をしてもらって、ずいぶん楽に読めるようになったのです。
 その本というのは、もう何年も前から本屋さんに並んでいるのを知ってはいたのですが、いかにも怪しい書名だったので買わなかったのです。ところが、インターネット書店のコメントには、意外に堅いしっかりした内容のものだということが書いてあったので、思い切って読むことにしたのです。
 というわけで、三日ほどかけて読んだのが「捏造(ねつぞう)された聖書」という本です。書名からの印象で、おそらくまともなクリスチャンは手に取らないと思うのですが、書かれている内容は聖書学のもっとも基本的な分野である「本文(ほんもん)研究」に関する、専門的な、かなり内容のあるものでした。聖書のことをもっと知りたいとまじめに思っているクリスチャンにはとてもよい本だと思うのですが、なぜ訳者はこんな題にしたのか不思議です。キリスト教に否定的な人は、もっとスキャンダラスな内容を期待して買うのでしょうが、内容はまじめな本格的なものなので、おそらくすぐに放りだしてしまうことでしょう。
 ところで、その内容はというと、わたしたちが今手にしている聖書(翻訳のもととなった原典)は、聖書の著者が書いたそのものではなく、写本されて伝わったものなので、写本される途上で多くの改変があり、本文研究はそれらを比較研究して元の姿に近づけようとしているのだ、ということなのです。 その何百年にもわたる研究者の努力とその方法を書いていて、このような地味な分野をわかりやすくまとめてくれていると言う意味では、良書に分類されると思います。それにしても10年前に販売されていながら今まで手を出さなかった理由が書名にあったことを思うと、人はなんと表面的な文字や印象で動いているものなのかと自省させられます。聖書を開いてみましょう。
  人は外の顔かたちを見、
   主(神)は心を見る。
     サムエル記上16章7節

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