聖書のことを英語で「バイブル」と言いますが、これは元々「ビブリア」というギリシャ語を英語読みしたものですが、「ビブリア」は書物=本の意味です。
ですから、聖書=バイブルは正に「本」という名の本、本の中の本ということになります。日本の国会図書館の蔵書数は(書籍のみで)約1千百万冊で毎年21万冊近く増えていくそうです。10歳で読み始めて110歳まで百年間毎日読み続けても、一日274冊読まないといけない計算になるのですから、誰も全部目を通した人はいないと思います。
 この世にあふれている本の中で、真に本と言える本、これだけはまず読まなければ本を読んだことにならないのが、聖書という存在なのです。キリスト教の聖典となっている聖書は、キリスト以前の旧約聖書とキリスト後の新約からなっていますが、二千年近くの間キリスト教会によってまとめられ、写本され伝えられてきました。今、わたしたちはこの驚くべき古典を書店に行けば簡単に手に入れることができます。
 現代の印刷技術でも、二段組みで1,700ページ以上にもなる聖書を、今のようになめらかな紙もない、羊皮紙やパピルスに手書きで写す時代が1500年も続いたという事実が、この「本」という名を与えられた本がいかに大切にされてきたかを物語っています。新約聖書にはその聖書についての言葉があります。
    聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、       
    戒め、正しくし、義に導くのに有益である。
                   (テモ手への第二の手紙3章16節)
また旧約聖書の詩篇には、
    あなたのみ言葉(聖書)はわが足のともしび、
                   わが足の光です。  (119:105)   
  み言葉(聖書)が開けると光を放って、
                無学なものに知恵を与えます。(119:130)
とあります。多くのあれやこれやではなく、生涯を掛けて取り組むに足る「本」の極みと言えるでしょう。教会ではまず第一に聖書を読むこと、そして祈ること、神を賛美することをします。今日からでもはじめて見ましょう。

                                                                                                                                                    
木場深川教会では、あなたの来会をお待ちしています。
日曜日午前10時30分からの礼拝にはどなたでも出席することが出来ます。