聖書にはとても深いこの世界の真理が語られていて、人生の指針が示されている、と思っておられる方も多いと思います。たしかにその通りとも言えますが、だからといって法律の条文のように「何々すべし」「何々すべからず」と、どこかの会社の社訓や家訓のようなものでもありません。
 聖書の約4分の3を占める旧約聖書はテレビドラマのような、いやそれ以上のスケールで人間の「ドロドロ」した欲望と争いの物語が半分以上を占めているのですから驚きです。長い間、何度も聖書を読んできて思うのは、聖書はわたしたちをこの世界の争いや憎しみから神の世界に引き出して、わたしたちの心に平安を与えようというのではなくて、この逃れようもない現実の世界に生きているわたしたちの所に神様が来て下さって、「安かれ」、「希望に生きよ」と語っているのだ、ということです。
 その意味で聖書はとても人間的であり、現実に密着していると思います。先に言ったように、聖書には法律の条文のような教訓的な言葉は意外に少ないのですが、今日はそのような教訓ばかりを集めた「箴言」から身近な忠告を読んでみましょう。
      心の痛める人の前で歌をうたうのは
         寒い日に着物を脱ぐようであり、
            また傷の上に酢を注ぐようだ。 
自分がうまくいっているときは、つい鼻歌が出そうですが、家族のことで心を痛めている人がそこにいるなら、何の悪気がなくともそれだけでその人をさらに痛めつけているのだ、というのです。もう一つ読んでみましょう。
      人を片寄り見ることは良くない、
         人は一切れのパンのために
            とがを犯すことがある。
ちょっとした失敗やあやまちでその人を判断してはいけないというのです。だれでもそれぞれ置かれた状況によって自分でも思いしない過ちをすることことがあるからです。自分だけは大丈夫、と思っていても事情が変われば同じ事をしでかすのが人間です。「神様、このわたしをお守り下さい」と謙遜に祈りつつ生きることを求めているのでしょう。

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