この夏の最大のニュースは7月26日に相模原市の津久井やまゆり園で起きた重度障害者19人の殺害事件です。この夏だけでなく、日本の近代史の中でも特別な意味をもった事件でした。もちろん国家が行った戦争によって我が国だけでも、何百万人もの人々が死に、近隣諸国をも入れると一千万人とも言われる「殺害事件」から比べると、比較にならないほど少ない被害者数かも知れませんが、その意味は重大です。
 この津久井やまゆり園の事件に戦争を持ち出したことに、違和感を感じられるかも知れません。しかしこの事件の犯人は、個人的な遺恨で殺害したわけでもなく、精神の錯乱によって行ったわけでもないのです。その後の取り調べでも、一貫して犯人なりの思想的正当性を述べているようですので、この事件を精神疾患による特異な事件としてかたづけるわけにはいかないのではないでしょうか。犯人は自分のやったことは、社会的な悪、罪の行為であるどころか、社会的な貢献であって賛同する人がいるはずだと思っているようです。
 世界の歴史を振り返ってみると、ある民族、国民を生かしておく必要のない者として数万人、あるいは数十万人、数百万人という規模で抹殺するということが行われてきました。今回は被害者が障害者ということで、弱い立場にいる障害者に対して何という非道なことをするのか、という思いがするのですが、障害者でなければこのような悲惨な目に遭わないと言うことではありません。           明治維新後の日本だけをみても、民族の違いと言うだけで、また思想・宗教の違いと言うだけでどれだけ多くの人々が虐殺され、人体実験の道具にされ、あるいは拷問で殺されたかを考えなければならないと思います。今回の事件は、かつて多くの一般人がそれに賛同し、ある場合には直接手を下し、しかも何のとがめもなく、罪意識もなくなされたという歴史を思い起こす機会になりました。同じようなことが個人なら狂気で、集団なら正義であるというようなことはあってはならないはずです。どんな時にも慈しみ深くありますように。
聖書の言葉です。
       人に望ましいのは、いつくしみ深いことである。
       貧しい人は偽りを言う人にまさる。
                          箴言19章22節
                                                  木場深川教会では、あなたの来会をお待ちしています。
日曜日午前10時30分からの礼拝にはどなたでも出席することが出来ます。