私たちの教会では毎年、5月の第三日曜日に「召天者追悼礼拝」と墓前礼拝をしています。「召天者」(しょうてんしゃ)というのは、キリスト教会でだけ使われる「教会用語」です。すでにこの地上での生涯を終えて亡くなられた方のことで、神様から天に呼び寄せられたという意味です。
 この一年で二人加えられて、61名の召天者を記念して行われました。時間もプログラムも毎週の礼拝と変わらないのですが、賛美歌や読まれる聖書の箇所が天国を思い、人生を考える内容になっています。
 そして何よりも、普段あまり教会の礼拝に来ていない遺族や関係の方々を多くお招きして、一緒に礼拝を持つことに意味があるのです。今年もそのような方々が40名ほどきてくださいました。一般的な表現をすると「合同慰霊祭」ということなのでしょうが、「慰霊」ではなくすでに天に召された人も、遺された人も一緒に神様を礼拝するのです。(亡くなられた方はすでに神様のもとにおられるので慰める必要はありません)
 よく「キリスト教は先祖を大切にしない」などという人がいますが、全くの誤解です。多くの教会では毎年一度はこのような記念の時がもたれていますから、「死んだら終わり」ということはありません。そもそも「天国」という言葉そのものがキリスト教のものですから(仏教には「天国」はないので)、キリスト教会においては死んだ後もいつもみんなに覚えられているのです。
 この「召天者追悼礼拝」で読まれた聖書の言葉を聞いてみましょう。
    イエスは彼に言われた、
    「わたしは道であり、真理であり、命である。
     だれでもわたしによらないでは、
         父のみもとに行くことはできない。」
                     ヨハネによる福音書14章6節
「彼」とは弟子のトマスで、「父」と言われているのは神様のことです。だれでも無条件に「父」=「神様」のもとに、すなわち天国に行けるわけではないのだと言われているのです。つまり地獄に行く可能性もあるわけです。天国への道はイエス・キリストにあることをキリストご自身が宣言されたのです。さらに天国だけでなく、この世の真理も、生きる命もまたイエス・キリストにあるのだから、「わたしについてきなさい」と今日も語りかけています。聖書を開いてキリストの言葉に聞いてみませんか。
                                                                                                                                                    
木場深川教会では、あなたの来会をお待ちしています。
日曜日午前10時30分からの礼拝にはどなたでも出席することが出来ます。