最近、再び火星に生物が存在するか、ということが話題になっています。アメリカも2030年代には火星に人を送り込むという計画があるとかで、また宇宙が面白くなってきました。そう言えば火星に生物がいるのではないかという話は半世紀以上前、というか100年近く前から言われていて、子どもの頃に平べったいタコのような「火星人」なる絵を見た覚えがあります。火星に見える縞模様は火星人が建設した運河だ、という説もあったようなのですが、火星だけでなく生物への興味は尽きないものがあります。
 実際考えれば考えるほど、地球上の生物の多さと多様さに驚かされます。また親の何十分の一の大きさで生まれてくる子どもが、私たちはそれが当たり前と思ってしまっているのですが、ちゃんと親と同じくらいの大きさになると自動的に成長が止まるのも考えてみれば不思議なことです。最近はiPS細胞と言われる万能細胞から様々な器官を造ることが可能になると言われていますから、ますます驚きです。
 二十世紀には分子生物学や分子遺伝子学というような分子のレベルで捉えようとする研究が進んで、なんだか生物の不思議も皆わかってきたような気になってしまうのですが、だからといって人間の悩みが減少してきたということはありません。これだけ科学や医学が発達してきているのに、人の心はやっぱり二千年、三千年前の聖書の時代と少しも変わっていないというのはどういうことでしょうか。
 二千年前の伝道者パウロはこう書きました、
      愛にはいつわりがあってはならない。
      悪は憎みしりぞけ、善には親しみ結び、
      兄弟の愛をもって互いにいつくいしみ、
      進んで互いに尊敬し合いなさい。 (ローマ12:9~10) 
聖書の言葉は、生物に負けず劣らず不思議なものです。日本が生まれるはるか前に書かれたものであるのに、まるで今、目の前で話されているかのような響きがあります。聖書が「神の言葉」と言われるのは、一方的な独断でも思い込みでもなく、それだけの力をもって深く人の心に入って来るからだと思います。
どれほど科学や医学が進歩しても、人の心から悲しみや苦しみがなくなることはないでしょう。これもまた生物としての、人間の不思議です。
                                                                                                                                                    
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