人の名前というのは、その人の生まれた時代を反映しているものです。親の方は何気なく、それほど意識してつけるわけでもないのに、その時代の流行の名前に影響を受けてしまいます。しかし2000年にわたって世界中で多くの支持を受けてきた名前があります。それは聖書に登場する人物の名前です。ここでその全部をとても上げることは出来ないのですが、欧米系の名前にはとにかく多いのです。ところが英語というのが、他の欧米系の言語と大きく違う発音をするものですから、日頃聖書を読んでいる人でも、それと気づかない場合もあります。そのいくつかを揚げてみましょう。
まず、旧約聖書の人物から、デービットはダビデ王、アイザックはアブラハムの息子イサク、ジェイコブはイサクの息子でイスラエルと呼ばれるようになったヤコブ、ジョシュアはモーセの後継者ヨシュア、セーラはアブラハムの妻サラ、レベッカはイサクの妻リベカ、ルースはダビデの曾祖母ルツなど読み方の似ている人物まで入れるとかぞえきれません。
新約聖書の人物を揚げてみましょう。マシューはイエスさまの12使徒の一人で福音書の書名にもなっているマタイ、ジョンは同じく使徒のヨハネ、ピーターは同じく使徒のペテロ、サイモンはペテロの本名であるシモン、フィリップは同じく使徒のピリポ、マークは福音書の名前にもなっているマルコ、スティーブやステファンは初代教会最初の執事のひとりで殉教したステパノ、ポールは新約聖書の三分の一を書いたパウロなど、こちらもまだまだたくさんあります。聖書の名前探しも結構楽しいものです。
しかし、名前は単なる識別記号ではありません。「名は体を表す」という言葉もありますが(「体」=実体=本質)、聖書にはもっとすごい言葉があります。
しかし、彼を受け入れたもの、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。(ヨハネ福音書1章12節)
ここで「彼」と呼ばれているのはイエス・キリストです。「その名を信じる」とは、その名をもつ方の下に自分を委ねるという意味です。
この方の名、すなわちこの方を信じた者は、なんと神の子となる特権が与えられるというのです。
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