聖書に書き著されている神は、私たちに歩み寄って「どうしたのですか?」と声をかけ、私たちのとりとめもない悩みと心の内をつぶさに聴く神です。その上で、自身の思いを私たちに語るのです。

 牧師が毎週日曜日に聖書から話しますが、本当に語られるのは神自身です。人である牧師の言葉は消え去り、神の言葉だけが皆さんの心に残るのです。

 「赤信号、みんなで渡ればこわくない」というギャグがありましたが、キリスト教信仰は「皆でする」とか、「又聞き」でというものではありません。神は一対一で向かい合って下さるのです。

 「信仰の自立」とは、神の前に自ら立って、神の言葉を聴き、それに応答することです。

 「人々からでもなく、人によってでもなく、イエス・キリストと彼を死人の中からよみがえらせた父なる神とによって立てられた使徒パウロ」 ガラテヤ 1:1