有名な「放蕩息子のたとえ」からお話します。創造主なる神こそ、私たちの本当の親であること。アウグスティヌスが言うように、この神のもとにあって、人は真の平安を得られるのだということを知っていただきたいと思うのです。とりかえしのつかないあやまちを犯しても、帰ろうと思えば、帰ることができるのです。キリストの十字架という大きな代償があればこそ、神は、私たちを豊かにゆるして下さるのです。
聖書の言葉 「そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀あわれに思って走り寄り、その首をだいて接吻せっぷんした。」 ルカによる福音書15:20